みんなの法話

いのちのセーフティーネット

本願寺新報
2012(平成24)年12月1日号掲載
守 快信(もり かいしん)
(滋賀・東光寺住職)


カット 林 義明

学校だけではない

最近、子どもたちの「いじめ」についての報道が多くみられます。「いじめ」はいけない行為であることは、子どもたちや先生はもちろん、みんなが知っています。しかし、一向になくなる気配はありません。むしろ、どこにでも起こっていることが報道などで知られます。この「いじめ」の原因は、いったい何なのでしょうか。

私は子どもたちの人権保護の役割の一端を担わせていただいています。そこで聞かれることは、「学校の指導が・・・」「教員の質が・・・」などの言葉で、学校関係の責任を問う声が多く聞かれます。

確かに、いじめの事件が起こっているのは子どもたちの世界ですから、学校が舞台となっていることは事実です。その意味で原因の一端は学校にあることは否定できません。しかし、いじめの加害者を生んだのは、単に学校での指導の問題ではないようです。

別の視点で見ると、地域社会や家庭の大人の問題が、大きな要因となっているように感じます。

教育関係機関の研究データによると、現在の子どもたちは、学校以外の社会で多くのストレスを感じていることが報告されています。また、それを解消できる家庭・家族関係でもストレスを受け、こころを休めることができる場所もありません。家はあっても子どもたちのこころを受け入れ、安心できる家庭が少ないのが現実です。

常に、子どもたちから「お母さんやお父さんが私のことをわかってくれない」「誰も私の話を聞いてくれない」などの相談を受けることが多いのも頷(うなず)けます。子どもの成長過程によりさまざまなケースがあり、一概には断言できませんが、仮にいじめを受けた子どもが、追い詰められてサインを出しているとしても、こうした家庭では察知することは不可能です。さらには、自死のセーフティーネットにもなり得ません。ですから、家庭や社会での子どもたちへの寄り添いと安心できる場の確保を私は呼びかけています。

何があっても安心

ある家に養子に入った友人から、過去にいじめを受けた話を聞いたことがあります。その理由が「よそもの」の排除です。

それは、養子に入った当初、地域の同年の友達と楽しく自然に遊んでいたのですが、ある時、友達のお父さんから、一緒に遊ぶことを禁止されました。何も問題になることがあったわけではないのですが、その理由が「よそもの」です。

そのとき彼は、本当に腹が立って養子先から少し距離を置くようになりました。何度か実家へ帰っていたそうです。実家は両親がいて、何もなくても、そこにいるだけで安心できました。1~2時間ゆったりとして落ち着くと、養子先へ帰ることを繰り返していました。その間、心配をかけないようにと、一度も愚痴(ぐち)をこぼすことはありませんでした。

1カ月ほど過ぎた頃、実家のお母さんが、彼の悩みを察して、「いつ帰ってきてもいいよ」と言ってくれたそうです。そのとき彼は、ふっと気づかされたのです。「何も悩みを話してないのに、お母さんは私の想いを受け止めていてくれていたんだ」。彼はそれを機に、自分の目の前の課題に目を向けるようになりました。そして前向きに努力し、それ以来、15年を経て地域の人に認められるようになったそうです。その心の内は「いつ何があっても、帰れるところがある」という想いの安心の中での毎日でした。

この事を通して、「いじめ」対策の一方法に気づかされます。「何があっても受け入れてくれる」家庭・両親がいること。それがどれだけ大きな安心と力となるか。また、前向きな生き方ができる力が、そこにあることが理解されます。これが「いのちのセーフティーネット」です。

「何があっても、必ず救うぞ」と、いつも母の如く私の側にいて、寄り添っていてくだる阿弥陀さまの御こころ。おおきな安心の中に現実に気づかされ、安心の願いのうちに生き抜かせていただく場所が私にはあります。私たち念仏者は、いつもこの「いのちのセーフティーネット」に生かされているのです。