みんなの法話

仏さまはみてござる

本願寺新報
2012(平成24)年9月1日号掲載
直林 不退(なおばやし ふたい)
(相愛大学准教授)


カット 林 義明

生涯の座右の銘に

親鸞聖人は、「正信偈」に、

煩悩(ぼんのう)、眼(まなこ)を障(さ)へて見(み)たてまつらずといへども、大悲(だいひ)、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照(て)らしたまふといへり

(註釈版聖典207ページ)

と述べられ、絶え間なく照らす如来大悲のはたらきを讃(たた)えられています。

どんな苦悩の日々にあっても、如来さまと共に歩む人生は、まことに力強い人生です。

著名な布教使であった愛知県の宮部円成(みやべえんじょう)氏は「みてござる」を生涯の座右の銘にされたのでした。

「誰も見ていなくても、仏さまが見ておいでだ!」

いかなる場面でも、「無倦(むけん)の大悲」のはたらきをわが身に感じる生き方は、時として、厳しい誡(いまし)めを与えてくださいます。

私たちの日常生活では、「相手」や「周囲の人々」、さらには「世間」の視線を敏感に意識することが、極めて多いです。

「こんなことをしたら、あの人にどう思われるだろうか?」

「ああ言ったけど、世間の不評をかいはしないだろうか?」

これが、私たちの善悪判断の基準の一つになっています。その一方で、人間の理解や思考の世界を超えた「大悲の光」を身近に感じている人が、はたしてどれほどいらっしゃるでしょうか。

「よいこと」をした時は「一人でも多くの人に知ってもらいたい」と願い、「悪いこと」は、どこまでも隠したい私たち。しかし、如来さまは常に「みてござる」のです。

そうせざるを得ない?

「ご講師さん。明日、和上(わじょう)さまのお墓にお参りしんさるか?」

一昨年、島根のあるお寺へ布教のご縁をいただき、初日の法座が終わって玄関を出た時、一人の年配の男性が、石見(いわみ)弁で遠慮がちに声をかけられました。

「和上さま」とは、明治時代の服部範嶺勧学(はっとりはんれいかんがく)のことで、私の寺の四代前の住職と縁があり、たいそうお世話になったと聞いていました。その日、偶然にも服部和上がそのお寺のご門徒の出身であると伺(うかが)い、ご法話の中で感謝の思いの一端を述べさせていただいたのでした。

もちろん、ぜひお参りしたい気持ちでいっぱいでしたが、布教先での勝手な行動はご迷惑だとの心配が一瞬胸をよぎり、「もしお座の前に時間があれば・・・」と、中途半端な返事でお茶をにごしてお寺を後にしました。

幸い翌日は、早目にお寺に到着できました。すると昨日のお同行(どうぎょう)が、駐車場の一番出やすい場所に車を置いて、私を待っていてくださったのです。

お寺の裏山のつづら折れの急坂を登りつめた林道の終点に車をとめ、「ここからは少し山道を歩いてもらわにゃ」という案内に促され車を降り前を見た時、一瞬わが目を疑いました。

雑草が生い茂っていたであろう数十メートルほどの墓地への参道が、きれいに除草されているではありませんか。このお同行は、おそらく何時間もかけて、あやふやな返事しかしていない私のために草刈りをされたのです。もし万が一、その日の時間の都合で墓参ができなかったとしたら、大変な努力は徒労に終わってしまうのに・・・。

いや、それはちがう!たぶんお同行は、私に見せたくて掃除をされたのではない。私が行こうと行くまいと、それ自体この方にとってさして重要な意味を持たなかったのでしょう。

それよりも、この方を突き動かしたのは、服部和上への報恩の思いであり、さらに常に我を照らしたもう如来の大悲を身に受けて「そうせざるを得ない」ご催促に出あわれていたからではないでしょうか。

「これは、何ともったいない」

精いっぱいの感謝のことばを探している私に対し、

「なあに、朝露はすべりますけーな。気ぃつけちゃんさい」

それ以上は何も話されず、ただ「ナンマンダブツ・・・」と念仏を称えながら、飄々(ひょうひょう)と坂道を登っていくお同行の後ろ姿にそっと手を合わせ、私も共に称名念仏させていただくばかりでした。石見の地は、まさにお念仏の「土徳」篤(あつ)きところでした。

「大悲、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふ」と、いかなる厳しいご縁に出あっても、いつも如来さまが「みてござる」とお念仏もろとも、強く明るく日々を生き抜きたいと思います。