みんなの法話

阿弥陀さまの涙

本願寺新報
2011(平成23)年6月20日号掲載
山崎 教真(やまざき きょうしん)
(布教使)


カット 林 義明

カッコウの声

6月も下旬を迎え、日本列島の大半は梅雨の季節の真最中となりました。前線の影響の少ない北海道や、私の住んでいる北東北の岩手県でも、どんよりとした空になっています。本堂の裏手にある杉の木や公孫樹(いちょう)の天辺(てっぺん)では、夜も明け切らぬうちから、カッコウが飛んで来て、大きな声で鳴いています。

この情景を、私と同じ渋民(しぶたに)村(現盛岡市玉山区)出身の、薄幸・漂泊の詩人、石川啄木は、「ふるさとの寺の畔(ほとり)のひばの木のいただきに来て啼(な)きし閑古鳥!」(歌集『悲しき玩具』)と詠(よ)んでいます。ここでの「ふるさとの寺」とは、すぐ近くにある啄木の育った宝徳寺(曹洞宗)のことです。

今は亡き私の祖母は、「カッコウは木の頂(いただき)から、四方八方を眺めながら『お前の親さまはここにいるぞよ』と呼んでいるのだ」と、よく話してくれたことを思い出しています。

しかし、私・私たちは、この「親さまの声」に気付くことなく、一生を終えてしまいがちです。

親のこころ

ここで、啄木の短歌を二首紹介しましょう。

「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」(歌集『一握の砂』)

「もうお前の心底をよく見届けたと、夢に母来て泣いてゆきしかな。」(歌集『悲しき玩具』)

上京し、貧困と病苦の床から、思郷の想いで詠んだものですが、母親の恩愛に気付かなかった自分の恥ずかしい姿を嘆いたものです。

だれの親であろうとも、親は自分の子どもの「幸福」を願いながら、育てています。いつでも、自分の子どもの安否を心配し、それを子どもに対する愛情と思って生きているのです。

外の世界を充分に知らない、よちよち歩きの幼児が、ひろびろとした草原で遊んでいる間でも、一時さえ目を離すことはしません。

また、自動車が往来して危険な道路や、深くて流れの速い河川のほとりで、それに気付かないで無心に遊んでいる場合はもちろん、急いで走り寄って、抱きかかえるようにして、その子どもを連れもどすのが親の愛情でしょう。

子どもの願望をそのまま認めるのは、真の愛情ではありません。親よりも人生や社会経験の乏しい子どもですから、正しく、道理にかなった時は認め、子どもの判断に過ちや危険がある場合は、親として、また人生の先輩として、生命をかけ、身を挺してまでも子どもを救うために反対もするのです。しかし、このような親の心を子どもは理解できないのが実情ですね。

姥捨山伝説から・・・

貧しい村の青年が「口べらし」のため、年老いた母を背負って、山に登っていきます。背の母は山に捨てられるのを覚悟のうえで、息子の帰り道を心配していたのでした。

これは、長野県・姥捨(おばすて)山伝説より取材した、深沢七郎の小説『楢山節考(なりやまぶしこう)』の内容です。この時の、老母の気持ちは、どれほどの悲しみに満ち、また子どもへの愛情で涙したことでしょう。帰り道を迷わずにとの息子への配慮から、さらには、母が折り捨てた薪(たきぎ)の小枝を、後に息子が見つけたときの心情は・・・。

感動なしに、読み終えることはできません。みなさまにもぜひ一読をお勧めいたします。

み仏のこころ

ここでの「息子」とは、だれのことでしょうか。「親の心」に気付かない「私の姿」です。

親鸞聖人が晩年に詠まれた『浄土和讃』には、

超日月光(ちょうにちがっこう)この身には

念仏三昧(ねんぶつざんまい)をしへしむ

十方(じっぽう)の如来は衆生を

一子(いっし)のごとく憐念(れんねん)す

と、あり、さらに

子の母をおもふがごとくにて

衆生仏を憶(おく)すれば

現前当来(げんぜんとうらい)とほからず

如来を拝見うたがはず

(註釈版聖典577ページ)

と、仏(母)が衆生(子)を慈悲の心で「一子のごとく憐念」してくださることを示されています。これが阿弥陀仏の大慈悲心、つまり、「親さまの心」なのです。

阿弥陀仏は、人生に迷い苦しむ「私」の姿をごらんになり、深い悲しみと、ふびんに思う親心から、大切な我が子、私を一子と喚びかけ続けているのです。阿弥陀仏は慈悲の涙を流しながら、必死の声が「南無阿弥陀仏」なのです。親心を歓喜で聞信させていただきましょう。