みんなの法話

み光の中でお育てを

本願寺新報
2011(平成23)年4月10日号掲載
沖井 智子(おきい ともこ)
(福島・本光寺副住職)


カット 林 義明

今まで経験ない揺れ

カタカタカタ・・・・・・。引き戸の揺れる音で始まった。

「えっ! 地震?」と思っている間に、ゆさゆさゆさ・・・・・・。

今まで経験したことのない揺れ。窓から見える親鸞聖人の像が今にも倒れそう。

本堂に走って行ったその間も、ゆさゆさ・・・・・・。

「阿弥陀さまは大丈夫だろうか!?」

土香炉(ぢごうろ)が、金香炉(かなごうろ)が、落ちている。阿弥陀さまは、動じずにじっとお立ちであった。ほっとする間もなく、あちこちから、がしゃんがしゃん・・・・・・。

あさましいことに、とっさに、どれが高価なものか、頭の中で計算機が動く。

テレビに走った。

揺れが治まってから、家中を見て回った。

「ああ!納骨堂が!」

納骨堂の中の各お仏壇が、すべて倒れている。あちこちに、被害を発見。でも、これくらいで済んでよかった。大ざっぱな片付けが終わる頃、テレビで情報収集をしていた母が、「大変だ! 津波が!」と叫んだ。

テレビの画面にくぎ付けになってしまった。親類・友人のことが気になる。電話はつながらない。どうすることもできないことにいら立つ。

スカウトたちが尽力

私の住む会津若松市は、東北の被災県ではあるが、目を覆うような大きな被害はなかった。

翌12日より、福島原発が相次いで爆発を起こし、煙が上がる。避難区域に指定された町の方々が、次々と会津に避難。体育館が、あっという間にいっぱいになった。そんな中、我が家にも親類の勝縁寺から避難してきた。当初は津波被害の方々を受け入れていたが、自分たちの所が避難区域になったからだ。しかし、その住職は、ご門徒の葬儀で地元に残っている。私たちも気が気ではない。そのうちに、ご門徒方も避難されてきた。また別に、知り合いの伝(つて)を頼って、受け入れの要請があった。もちろん、受け入れた。着の身着のままでの避難。

そんな中、「お彼岸なのに、お寺参りも、お墓参りもせず、お仏壇もほったらかしで・・・」と気に病んでいる方々が多いと聞いた。急きょ「彼岸会・震災追悼法要」を計画。ガソリンがないため、歩いてこられる範囲の避難所に連絡。ご法要まで中一日。情報は伝わっただろうか?いや、誰もお見えにならなくても、私たちの気持ちで追悼法要を、と思った。

当日、本光寺と勝縁寺の門徒さん・スカウトを含め35人の方々が参拝。終了後、茶話会をする。地震の時の恐怖、この先の不安、少しは吐き出していただけただろうか?こころ和ませていただけただろうか?避難所にいて、お参りはしたい。だけど、ここまで来る気力がない方もいる。スカウトたちは、今後の活動を話し合う。

地震直後から、募金やボランティアをしようと声をあげてくれたスカウトたち。今年の活動は、被災した方々に焦点を当てたプログラム展開にすることで一致。リーダーたちは、すでにそれぞれに避難所でお手伝いを開始。本光寺に避難してきている子どもたちと遊んでくれたスカウトもいる。回数が問題ではない、かけた時間が問題ではない。そう思ってくれるこころが、とにかくうれしい。

普段、「お話に耳も傾けずそっぽを向いている」と思っていた自分が恥ずかしい。自分の欲・損得でしか動かない私の姿を突き付けられた。

被災して、帰るに帰れないでいる方々、手を合わすことさえできなかったことに心を痛めている方々。私の中で、響いてきた言葉。私の好きな言葉・・・。

「み光の中で、お育ていただく」

本当だろうか?私は体裁ぶって言っているだけではないだろうか?自問自答もした。それでも、今回ほどこの言葉を心の底からかみしめたことはない。もやもやが、すっきりと晴れた。やっぱり私たちは、阿弥陀さまのみ光の中で生かされ生きているんだ。お育ていただいているんだ。

ありがたいなあ。涙が出る。

今現在、福島県は原発問題で、遺体捜索確認ができない状況もある。まだまだ歩み出せないでいる。私たちのできることはなんだろう?精いっぱいつとめさせていただこう。