みんなの法話

阿弥陀さまと歩む人生

本願寺新報
2011(平成23)年1月10日号掲載
幡多 哲也(はた てつや)
(兵庫・西方寺住職)


カット 林 義明

いただいたわら草履

数年前のこと、布教に出掛けた先で、ご門徒のAさんにお会いしました。

それからというもの、そのお寺に布教に行くたび、Aさんからお土産(みやげ)をいただきました。

そのお土産は、藁草履(わらぞうり)二足、そして布で仕上げた草履二足。さらに、携帯電話のストラップとして、糸で仕上げた小さな草履数個をいただいて帰るのです。

私はただ「ありがとうございます」と、お礼の言葉だけを言って帰っていました。

お寺に帰って、早速、お土産の藁草履を使わせていただきました。あるとき、草履で歩きながら、ふとAさんのことを思い出しました。

「この藁草履を作るのに、いったいどれほどの時間がかかるのだろうか。大変な集中力や気力が必要だろうな」と思いました。

数年後、そのお寺の法座にまたご縁をいただき、同じく藁草履のお土産をAさんからいただきました。

私はAさんに「ありがとうございます」と、まずお礼を申し上げてから、「この藁草履を作られるのにどれほどの時間がかかるのですか。大変な集中力や気力が必要なんでしょう」と尋ねてみました。

するとAさんはにっこりと笑いながらお話をしてくださいました。

「時間も集中力も気力も、考えたこともないです」

そして私に向かってAさんは「先生のー、先生はここにお越しになるのに何を履(は)いてこられましたか」と聞かれました。

私は靴(くつ)ですと答えました。

Aさんは「靴を買うには、わしが靴に合わせないといけない」と言われました。自分に合った靴を見つけないといけないということでしょう。

続けてAさんは「藁草履はのー、わしの足が藁草履に合わせなくても、藁草履がわしの足に合わせてくれる。最初に履いたときは堅いかもしれんが、藁草履は履けば履くほど、わしの足にしっかりと合わせてくれる。まるで『阿弥陀さま』のような気がします」と話してくださいました。

ひとりじゃないよ

藁草履を作ることが、Aさんにとって、生活の中にいて、阿弥陀さまのご苦労に「であう」ご縁だったのかも知れません。

藁草履のお話を終えてから、今度は布の草履の説明を受けました。この草履を履いて、庫裏や本堂の中を歩くようにご指導を受けました。なぜかというと、布の草履は雑巾として使ってくださいと言われました。歩きながら掃除ができるから一石二鳥だということです。

携帯電話のストラップ、糸でできた小さな草履は、ご縁のある方々に差し上げてくださいとおっしゃいました。

Aさんはお念仏のみ教えをいただく中で、私が阿弥陀さまに合わせる教えではなく、阿弥陀さまが私に合わせてくださるみ教えを私に伝えたいがために、苦労して細かい作業をしてくださっていたのだと、味わわさせていただきました。

私はAさんの温かさをいっぱい聞かせていただきました。

お寺へ帰る時、Aさんが力いっぱい手を振って見送ってくださったことを思い出します。

「独(ひと)りじゃないよ」

お念仏のみ教えは、私たち自らが阿弥陀さまに合わせる教えではなく、阿弥陀さまがすべての「いのち」に寄り添ってくださり、「必ず救う」という阿弥陀さまの「願い」を聞かせていただく教えです。

私は阿弥陀さまの願いを、どこにいても、いつでも「独りじゃないよ。『南無阿弥陀仏』となって、苦しみ悲しみ多い〝あなた〟の人生と共に歩みます」とお聞かせいただいています。

しかし、自己中心的な恥(は)ずかしい思いを持つばかりの私。そんな私であっても、逃げも隠れもせずに寄り添ってくださる阿弥陀さま。ただただ申し訳ないと思うだけでなく、その阿弥陀さまの願いに応えたいと思わずにおれなくなりました。

孤独な人生から、こころ豊かに生きることのできる社会の実現に向けて手を携えて歩んでくれるお仲間との「であい」。

ともにいのちかがやく世界へ